つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーションのこと

不純なるアニメーションの覚書——『アニメ制作者たちの方法』を読んで

昨年末に映画年間ベストを振り返ったとき、マイナーなアニメーション市場が撹拌されて目立った年だったと書いた。

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どうにもそれには2016年の『君の名は。』、『聲の形』、『この世界の片隅に』のヒットに引っ張られる形で新しい市場(もともとあるけど目立つようになった)が拡大したように思える。まず作品が好みはどうか別として、事実として『君の名は。』であれば、個人作家としてデビューした新海誠が、安藤雅司田中将賀などを陣営に迎え、それまで彼の作品で弱かったキャラクターに力を宿した。反対意見もみられたが、劇中何度もかかるRADWIMPSの楽曲もヒットのひとつの要因にはなっているだろう。また三葉の住む飛騨あたりには存在しておらず、新海が大人になるまで住んでいた長野県に実在する諏訪湖を連想させるデザインだ。私は御嶽山(14年の噴火)と諏訪湖(新海の記憶)のハイブリッドな感性があのようなデザインや物語を産んだのではないか? と考えている。

なぜいまさらながらこんなことを書いているかというと、先日発売された『アニメ制作者たちの方法』(フィルムアート社、2019)で石岡良治の高瀬康司が、「不純なアニメのために」で、様々な分野を横断することについて対談していたことに触発を受けたからである。今回は単純に思いついたことを羅列するだけなので脈絡がないので。

まず「不純なアニメ」とは何か? そもそも「不純」とは? つまりそれは純粋なアニメではないということを言いたいのだろうか。ここで石岡が『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』などになぞらえて、プラモデルやガンプラなどの〈ホビー〉との関係に言及する。つまるところ現代における〈ソシャゲ〉が目立っているが、アニメからゲームへ、ゲームからアニメへ(または漫画、実写、パチンコ…ともいえるかもしれない)などの互いの横断を果たすことで確固たる基板を得ているといったことだろう。

たとえばアニメを純粋な映像メディアとして捉えてしまうと、「映画にどれくらい近づいたか」という価値基準を招き寄せてしまう。すると、「映画のサブカテゴリ」としてアニメを見るか、映画とは異なるメディウムの魅力としての〈作画〉にアニメを還元させるかという、思考の硬直化が生じてしまう。——『アニメ制作者たちの方法』(フィルムアート社、2019)P221

これは資本の流れとも結びつけられる議題かもしれないが、ここは少し置いておいて、その横断というものはメディアミックスといったこと以外にも、アニメ(アニメーション)の参照元といった点でも横断が発生している。高瀬氏と石岡氏の対談でも触れられているが、市川崑タイポグラフィが『エヴァ』で見られたように〈映画〉から〈アニメ(アニメーション)〉への引用があった。映画秘宝のムック『アニメ秘宝』も思い出されるし、実際に押井守は学生時代にゴリゴリのシネフィルだったと聞いたことがある。ソシャゲもそうであるが、現代において映像を利用した娯楽作品は街中に溢れている。しかし、彼らが若かった頃、何を参照すべきか? となったときに映画を参照することはごく自然だったろう。

それは『アニクリvol.6.5』にてDIESKEとtacker10が対談で触れているように、『化物語』『エウレカセブンハイエボリューション』『キルラキル』など参照元が、近年多様化しているのだろう。最近では実写映画を撮る監督がアニメーション映画に参入することが多々ある。ウェス・アンダーソンストップモーションをやれば、岩井俊二ロトスコープを用いたアニメーションを作る。それにエドワード・ヤンが生前、アニメーション映画を制作していたこともある。

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このパイロットフィルムの感覚はなかなか商業アニメでは見られないものである。見ているだけで背景美術がエグいことになっているし、カメラワークとフレーム外の音が密接に設計されていることがわかるだろう。 もし彼がこの作品を完成させていれば、実写監督のアニメーション参入に拍車がかかったかもしれない。

つい最近であれば『スパイダーマン:スパイダーバース』のアニメーショ手法をひとつの画面で同軸に存在させる。そして物語的な次元と手法の次元を乗り越える、そこで生まれるノイズを表現した作品も出てきている。

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映画はその生まれがサイレントであったことが、写真のようなものが動くこと、と密接に噛みあって誕生した装置だった。それに対してアニメーションは「動かす」方向に話が進むことが多い(それも悪いといった話ではない)が、昨年の『ANEMONE』があったように、まだまだ未知なるアニメーションの可能性が眠っているように思える。先日TAAFで『Bloeistraat 11』という短編アニメーションを見たが、キャラクターが線(アクリルで線を書いている?)であり、背景等がミニチュアセットでそのなかでキャラクターが動くという面白い手法を使っていた。パペットアニメーションと、ハーツフェルトの棒人間を掛け合わせたハイブリッドな作品だったといえよう。

こんなところで脈絡もへったくれもないが終わる…

 

アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門 (Next Creator Book)

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