つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーション、音楽のこと

木上益治『呪いのワンピース』(1992)

dアニメストアで『呪いのワンピース』デジタルリマスター版がラインナップに揃った。鑑賞して思うのは「懐かしさ」なるものが雰囲気として見えてくることだろうか。

anime.dmkt-sp.jp

異性に興味を持った女学生(古風な言い方)のもとに、突然ワンピースが何者かによって配送されてそのワンピースの持つ異様な力にのみこまれてしまう物語。1992年当時TBSで3話に渡って放送されたとのことだが、1話10分切るくらいのコンパクトな作品である。ワンピースを手にした少女は「これで○○くんに振り向いてもらえる」とパーティーに出向くも違う女の子からチヤホヤされているのを見ると、ワンピースの呪いによってエクソシストのような体制からガラスを突き破って入院沙汰になったり、脱いでも脱いでもワンピースが肌にはりついてしまい、しまいには皮膚と同化して精神を病んでしまう…など、よくこれをテレビで放送したよなと90年代まだ甘かったコードによってまかり通った奇跡的な作品ともいえる。2話例外だが、他の話ではワンピースは宅急便によって運ばれてくる。しかし、運んでくる姿は『回路』(2001)の黒い染みのように真っ黒であり、ワンピースが運ばれてくるとなくなってしまう。表情がよく見えない顔や、ワンピースの異物感は見るものを不安にさせるような気味の悪さを与えるだろう。作品が終わってもクローゼットを開けるとそこにはワンピースがあった……なんてことも。

このただならぬ雰囲気は実写でいえば先に挙げた『回路』であったり、辿っていけば『霊のうごめく家』(1991)のような不気味な恐怖感。そして都市伝説からの発展していくと、「学校の怪談系(例えば「花子さん」)」や「口裂け女」などの噂話に真実味があった時代、その名残の影響を感じる。実際に先にあげた『回路』の監督である黒沢清は1994年に『学校の怪談』で『花子さん』を撮っているし、「1992」という数字で考えるのであれば『笑ゥせぇるすまん』(1989-1992)*1の放送が終わったのが1992年であった。この独特の雰囲気は亡くなってしまったが、今敏の『パーフェクトブルー』(1998)の出現に一役かっている気もしないでもない。

インターネットが一般層に普及する前のテレビや雑誌等の情報から少しずつ噂が形をつくっていき、それは本物のように実体化する。「怪談話をすると寄ってくる」と同じ原理であろう。今でこそこういった話を信じる人がいるのかわからないけれど、90年代は夏休みには怪談ホラー系の番組が必ずといっていいほどかかっていた記憶があるし、今ほどアーカイヴが残りにくい状況だったので、見た人が記憶で語ることが多かったり、ビデオ画質で見返していると心霊写真がよりそれっぽく写っていることもあったのであろう。心霊バブルのような状態は『リング』(1998)、『ほんとにあった呪いのビデオ』(1999-現在)『呪怨(ビデオ版)』(2000)を経由してブームになっていた。

では今はJホラー元気ないのではないか? と印象だけで語られるが、『犬鳴村』(2020)ではJホラーの文脈から始まり、それを逸脱しながらも最後まで駆け抜けた力作であった。このあたりの文脈はunuboreda氏のブログを参考されたい。

yosntoiu.exblog.jp

アニメにおいても噂話を起源とする『虚構推理』が放送されており、ホラー心霊のジャンルもまだまだ力のあるジャンルのひとつであると私は思う。

あれから名前さえ出すことが困難な状況であったけれど、木上益治が監督された『呪いのワンピース』ぜひともこの機会に。

呪いのワンピース

呪いのワンピース

 
回路

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

*1:本作もdアニメストアにアップされています。

濱口竜介『親密さ』(2012)

やっと『親密さ』を見た。濱口竜介フィルモグラフィーをたどるならば、避けては通れない映画だっただけに何年か前、映画専門チャンネルだったかでかかったときに録画をしたのだけど、なかなか覚悟が決めれずに放置していた。2010年代が終わり、2020年代が始まったことで、2010年代の埋葬的な意味合いで序盤のドラマパートまでを一夜、演劇パートからをもう一夜で二日間に分けて鑑賞した。

『天国はまだ遠い』(2016)なんかが顕著に出てるけど、お話自身はありふれたというか、結構シンプルで技巧的に組み立てて魅せちゃう作家だと思う。それだけに若手の注目株だし、苦手な人は本当に苦手なんだろう。私は『ハッピーアワー』(2015)にえらく感動させられた。公開された2015年が『テラスハウス クロージング・ドア』や、『心霊玉手匣 其の四』、『ほんとうに映した!妖怪カメラ』などフィクション/ドキュメンタリーの狭間を揺れ動く傑作が立て続けに発表され、その年の最後に公開された同時代性みたいなものに持って行かれてしまったのだろうと思う。それで『寝ても覚めても』(2018)のような作品が出てきたのは、これまた奇妙な感覚があるのだけど、いづれにせよ、新作が公開されたら見に行こうかなと思える映画監督のひとり。

さて、『親密さ』は映画/演劇のような語られ方をされるけど、結局は映画なんだろう。演劇シーンで二人横並びで会話をするシーンでは、正面切り返しで繋いでいるので、まるで二人が対峙して話しているように感じられる。小津映画で見られる正面切り返しでは、まるで二人の視線はあっていないのではないか? と思われるような繋がれ方が見られるけど、『親密さ』の場合は、「演劇」といった設定を担保にして向かい合っていないところを編集して、視線が結びついているように演出する。演劇の前にメンバーと監督役が二人で対話するシーンを切り返ししているように対応しているし、ラストに電車の並走から投げキッスを交わすシーンとも呼応する。そこにふっと存在するのが当たり前のように演出をする。批評的であり、とても頭がいい人なんだろうと思うわけだ。ただ私は演劇に詳しくはないので明言を避けるのだけど、そもそも観客が見やすいように正面を向いているだけで、本当は向き合っているといった設定なのかもしれない。

どこか90年代から始まった空気感を引きずったゼロ年代のような空気感が映画に充満していた。2010年代を過ぎてしまってから、自分がそういったものと離れてしまってから鑑賞したからあまり響いてこなかった(それでもラストの投げキッスは最高でしたが)。多分、ゼロ年代のアニメを浴びるように見ていた頃に出会っていたら、打ち砕かれるくらいの衝撃を受けたに違いない。そういった意味では10年前に濱口竜介が出てきて欲しかった。それと「批評的」といった言葉を使ったけど、ゼロ年代の空気感といい、彼が批評再生塾にも講師として出てきていたのも必然なのかもしれない。今の映画批評に希望は見えないけど、批評するなら(批評的な)創作した方が本質的なのかもな。資本主義と程よく付き合いながら批評をする必要はあるのだろうか。もっと他の方法がないだろうか。これはもう生き方の問題だ。なんだか暗い話になってしまった。

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森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(1985)

「ただいま!」

森崎東の映画にとって長年家を離れていた子供が家に帰ってくる。まるで昨日もそこに住んでいたかのように自然に。『喜劇 女は男のふるさとヨ』(1971)では、血が通っていない父/子でさえも、「姉ちゃんが帰ってきたって!」と大騒ぎとなる。家や仕事がなんであれ、彼の目線はいつも日陰者に寄り添うような位置にある。

『生きているうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』タイトルからわかるように「生/死」にまつわる映画である。しかしこの映画ではまず、「死」という概念が二回ひっくり返される。一度目は倍賞美津子がヤクザな仕事から逃げてきた友達を探して家にいったときに、「嘘」をつかれて必死になって墓地へ向かうも彼女は生きていた。二回目はその生きていた彼女が結婚するといって、死んだとされる彼の墓地を掘り出したとき。賠償がとうとう気でも狂ったのか? それとも本当に可哀想なだけなのであろうか? と怪訝そうな顔で掘り返している様子を見ていると、まるでゾンビのように蘇るではないか。しかし、二度否定された「死」は三度目の正直として立ち現れる。射殺されるショット、着物が舞って、鳥が舞って、そして天気雨が降る。つきまとう「三」という数字は、冒頭教師を連行して身代金を要求する「三人」でもあるし、倍賞美津子の彼を含め「三人」の死。そして、ヤクザおよび警官を入れて敵もみな「三人」死ぬ。「三」は現実の数字として立ち現れる。二回まではまるで奇跡が起こったような瞬間が続く。例えば「二回」の天気雨。教師は「二回」賠償と床に着くも、三回目は船上で生徒たち(=倫理)に囲まれて悪夢から目を冷ます。賠償の彼との絡みは教師に窃視されており、それは賠償と教師の絡みもまた彼に窃視される。ここでは奇跡のようなできごとと極めて現実的なできごとが、絡み合い、幾度となくひっくり返されることで、悲劇が喜劇にもなっていく。

冒頭まるで『ションベン・ライダー』(1983)のようなカーアクション*1も、言語(理由)の前に運動があり、その理由は後になって判明する。娘が妊娠した! 出て行く! となって出て行っても、まるで何事もなかったかのように次に娘が出てくる際は夜の仕事を全うしている。賠償もまるで何事もなかったかのように接する。船が出航するも港にたどり着かないのは映画につきものであるし、対岸側に見える原発施設に関しても、彼岸/此岸の対比を連想させ映画を転がしていくものとして機能する。

ラストショットで賠償がさっと画面から消える瞬間(実際にはブレている)で幕が閉じたとき、昨年見た『マチネの終わり』を想起した。 「会いたい、会いたい」という賠償美津子と原田秀雄の姿は、他の森崎東作品を見てもきっと思い出してしまうだろう。森崎東の映画は彼の映画の中でずっと循環していく。これは忘れられない——。

生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言【DVD】

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時代屋の女房

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ションベン・ライダー (HDリマスター版) [DVD]

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  • 出版社/メーカー: オデッサ・エンタテインメント
  • 発売日: 2015/05/02
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*1:まるで長回しはしてやるものか、と思うくらい少し長めのカット後にすっとカットを割っている。ぼーっとしているとカットを割ったか見逃すくらい自然に挟んでいる。また車の周りで倒れる人を割って挿入し、リアクションのショットと映像のメリハリの両方を獲得できている。これは警官が賠償が小屋に入る瞬間を見つけて、次の瞬間すでにドアを閉めるショットを挟んでいたように映像にメリハリがつくショットであろう。このあたりは『時代屋の女房』で到達点に達しているように思う。