つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーション、音楽のこと

ハーモニー・コリン『スプリング・ブレイカーズ』(2012)

公開時ぶりに鑑賞。いわゆる、おっぱい、酒、ドラッグ、ヴァイオレンスなんかで語られる映画だけれども、例えば『ピラニア3D』のように表面上おっぱいを映しているっていうよりも、職業柄そういった行動をとっていると言ったほうが正しいか。本作で度々いわれる「スプリングブレイク」ってのは春休みのことで、「時間」的な事柄を指すわけだ。例えばスプリングブレイクを満喫している彼女らはスプリングブレイクが永遠に続けばいいのに…といった言葉を残している。でも、映画冒頭から度々言われているスプリングブレイクとは「場所」的なものに聞こえるだろう。観客はどこかに「スプリングブレイク」を満喫する場所があって彼女たちはそこに向かう——実際にホテル代にもならないなんてセリフもある——なんて考えるかもしれない。

彼女たちが強盗までしてスプリングブレイクを楽しみたいというのは一種の現実逃避なのだろう。他の生徒たちは春休み実家に帰ったり、どこかへ出かけたり、スプリングブレイクを満喫しているように思えて嫉妬する。「私たち」だけが学校に取り残されてつまらない春休みを過ごさなければならない。理由なんてない、ただつまらないから。目的意識もない軽薄な考えが、軽薄な行動に身を移し、軽薄に強盗して、軽薄に酒を飲んだりドラッグを楽しんだりする。彼女たちは身軽だからどこへでも自由自在に流される。

スプリングブレイクで出会う人たちはまるで幽霊のようだ。そこに実在しているのに誰も名前を聞かないし、誰も名を名乗らない。「セックスしようぜ」って言われても笑って身をかわす。彼女たちも出会うギャングスターもそうだが、そういった人たちはスプリングブレイクって「時間」的なものの中で存在する「場所」的な存在にすぎない。ただのオブジェクト。ギャングスターもギャングっていう職業からは離れられずに、他のギャングと抗争になりすぐさま撃たれて死んでしまう。キリスト教に囚われた黒髪の子は恐怖でその場から立ち去ってしまうし、髪をピンク色に染めた子は銃で撃たれて恐怖で逃げ出してしまう。

残った二人組はどちらもただの金髪の女の子だ。そして誰よりも軽薄な。「場所」的概念に縛られない彼女たちはギャングの家を襲っても無事に生きて帰ってこれる。永遠のスプリングブレイクという「時間」的なものに囚われているからだ。オブジェクトのような馬鹿騒ぎしている連中やギャングたちとは生き方が違うのだ。