つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーション、音楽のこと

リカルド・フレーダー『ヒッチコック博士の恐ろしい秘密』(1964)

中原昌也白紙委任状にて『悪魔の夜』と『ヒッチコック博士の恐ろしい秘密』を見た。夏休みだというのに暑いので新作映画も名画座通いも避けていたのだけど、まあ夜から始まるなら多少涼しいだろうって。ジャック・ターナーの『悪魔の夜』は、超常現象を科学で立証できる的なことを学会(だったかな?)で発表しようとしていた人が悪魔に殺されてしまって、その学会に参加する他の学者も巻き込まれてしまうって話。悪魔の出てくるシーンはボコボコって煙が立ち込めて、とてもかっこいいのですが、その他がターナーにしては力が入っていないように見えた。なんでもあまり受けたくなかった仕事ではないのか? ってことと、悪魔のシーンは撮影終わってから追加されてしまったシーンらしい。本人も意図していないところの方がいいってのもズレてて面白いなと感じるんだが。

リカルド・フレーダーの『ヒッチコック博士の恐ろしい秘密』は話がどうつながっているんだかよくわからないくらい変な映画だった。トーク山崎圭司さんが、脚本読まずに映画作る人って言っていたのが印象的で、「私は電話帳だけでも映画が作れる」と言っていたらしい。真偽はよくわかりませんが、話の脈絡のなさがアルジェントっぽい(とくに『インフェルノ』)。トークでもそこには触れていてアルジェントに影響を与えているねーって話をしていた。

そもそもヒッチコック博士が夜な夜な自分の妻に何をしていたのかも意味がわからない。病院で「麻酔」って単語が出てくるように、何かから麻酔を生成して妻に実験していた? とも推測ができるんだけど、妻が眠ったらまるで吸血鬼のように血を吸っているように見えなくもないシーンもある。それでなぜか彼の妻と思われる人が生きていたらしく、最後に出てくるんだけど顔も見えないし何者かも不明。最後の展開はバーバラ・スティールの生き血を妻に供給するような企みに見えたのだが、何がなんだかわからないまま終わる。この辺りはジョルジオ・フェローニの『生血を吸う女』(1961)っぽいなーとか思いながら見ていた。同じくイタリアで同時期なのでリカルド・フレーダーは見ているかもな。

しかしこれだけつなぎがデタラメなのに映画になっているのは、ロケかセットだかわからないけど屋敷の美術とスタッフの撮影技術に他ならないのだろうなと思う。画質がいいものを見たので余計にそう思えた。今だったらこんな変な話をこんないい撮影で見られるわけがない(言いきりはよくないかもしれないが限りなくゼロ)。中原昌也が『ウィンチェスターハウス』と絡めて話していたけど、ほとんど同じ意見で、あそこまで面白くなりそうな美術を使いながら、まったく魅力のない映画になっていた。

リカルド・フレーダーは早く撮影を切り上げることしか考えていなかったらしく、ヒッチコックの引用も(というかパクリみたいなクオリティ)、話のつなぎもまるでテキトーに作っていたんだろうか、それをスタッフの力で一応見せられるレベルまでに持ってきていると思うと、まさに映画は誰のもの? まあそもそも批評というか作家論的なものは政治的な行為だと思うし、テクストだけで読めばその辺りは無視してしまえばいいのだろうけど。『悪魔の夜』だってターナーの意図しないシーンのほうがいいわけだ。映画もそうだけど、アニメについての作家論を考える機会が直近に控えているのでこの辺りはどうしても敏感になる。だから「表層を語る」のではなく、「表層で語る」ということを身にしみる今日この頃。

 

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