つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーション、音楽のこと

ホン・サンス『正しい日 間違えた日』(2015)

「これは、、、」と思う映画と出会って、外に出ると雪が降っている。「ギシギシ」と積もった雪の上を歩きながらその映画のことを反芻する。人生の中で最良の時間とまでは言わないが、気持ちが高ぶるに違いない。これは『正しい日 間違えた日』のラストシーンである。

本作は同じ日が二回繰り返される。筋書きとしては映画を地方で上映することになった監督が、その地方で出会った女性と上手くいくか/失敗するか、といった恋愛というか愛というか…まあ、いつものホンサンス映画で繰り返されるような脚本である。本作の前に見た『それから』(2017)で改めて強く思ったのが、ホンサンスはとても頭のいい監督ということ。

二回繰り返される同日についてもお話としてはほとんど変わらないが、カットを抜いてみたりカメラポジションを変えてみたりしている。単純に「お話を変えました」のような代物にはなっていない。私たちは生きている中で似たような日を幾らか――または毎日とも言えるかも知れない――過ごしている。それはまったく同じ日とはいえない。でもどこか似ている。私たちの日常は反復に溢れており、何度も繰り返される似たような日(ルーティン)は些細な差異で繋ぎとめられている。

ホンサンスは同じ日を「過去-現在」、もしくは「過去-未来」のように語ることはなく、映っているその映像は常に「現在」であろうとする。『それから』で一見バラバラに羅列されて見える映像も常に「現在」であり、それもわざわざ説明することもなく後々に「あっそうだったんだ」という出来事を見せてくれる。「意味深です!」といったわけのわからない映像の羅列ではないし、つじつま合わせの回想を試みるわけではない。

キム・ミニが監督の映画を見て外に出てみると雪が降っている。その雪でさえ「降っているのは当然だ」と思わされてしまう。それくらい些細なことに感じる。これが映画のマジックだ。

それに私たちは彼の映画で雪を目撃している。しかもこれまた幸か不幸か、ホンサンスの映画が輸入されてこない期間(時間)――つまりある種の編集によって、『それから』の終盤タクシーから雪を見るキム・ミニの美しい顔を、私たちは先に目撃してしまっているのだ。些細なことが後に予期せぬ感動を呼び寄せる。だからホンサンスの映画を見たくなるのだ。