つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーションのこと

フレデリック・ワイズマン『エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館 Ex Libris: The New York Public Library』(2017)の構造について

3時間を超える作品であっても、毎回新作が公開されると駆けつけてしまうフレデリック・ワイズマン。長いと思っていても見れてしまうのは彼の作るリズムにあるのだろう。『ニューヨーク公共図書館』のランタイムは205分だ。決して短くない。今回は本作の構造について書いていく。

◆オープニング

黒バックの画面にオープニングクレジットが表示される。オフスクリーンでは街の喧騒が聞こえる。クレジットが終わるとき、ワイズマン映画ならおなじみの主題に関わる場所(場所の周りやそれ自体)を、小刻みに(ショットを)連ねる。そして本題に入り、図書館内で公演している人物を長めのショットで映し、聴講者を短めのショットで5-6人リズミカルに映す。そしてまた登壇者のショット——といったようにこのやりとりを数回繰り返す。本作では本館や分館といった図書館を行き来するが、ほとんどのやり取りはこの形式で進んでいく。これを記憶されたい。

上述したとおり、本作では本館、分館、分館、本館、分館、といったように様々な場所をワンシーン(ワンカットではない)毎に撮影されている。ドキュメンタリー映画にしてみればわりとポピュラーな形式ではあるのである。しかし、ワイズマンの映画では3時間、4時間といったランタイムは決して珍しくない。それでも停滞することなく、見れてしまうのはもちろん題材の興味深さもあるかもしれないが、体感時間的に身体が楽だということがある。彼の映画は(『ボクシング・ジム』あたりが示唆的)、リズムがとてもいい。決してテンポが速い、のではなくリズムによって身体の感覚が制御されているといったほうが正しいかもしれない。

◆移動について

本館-分館等の移動に関しては、ワンシーンが終わった後、カメラはその場所の外に移りオープニングクレジット後のショットのように小刻みに数ショット連ねる。ここでワイズマンの優れているところは、次のシーンで子供たちが遊ぶ施設だった場合に、外でその施設を待っている人々(乳母車を押す母親)のショットを挿入するなど、場所から場所へのつなぎがスムーズにされているところだ。まず丁寧な作りになっていると思う。

しかし、それが絶対である、とはワイズマンの映画では思わないほうがいいかもしれない。『動物園』での性格の悪さ……(はさておいて)、「ドキュメンタリー」といえど、もちろん編集されていないということはなく、本館から分館への移動のときに、公演の音が聞こえながら次のショットに移行するなど、明らかな編集がされている。そもそも登壇者/聴講者の切返しが成立している時点で、編集がされていると認識してもいいかもしれない。

◆小休憩

上述した数々のシーンの流れとショット構成、リズムの形成、といえど流石に205分は長い。そこでワイズマンは何をするかというと、一旦休憩に入る。もちろん、休憩といっても本当に休憩するのではなく、リズムを変えるのだ。本作と似た構成になっている『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(2015)であれば、おばさんが洗濯物を乾燥機に次々と放り投げるシーンや、鳥をさばくシーンがそれにあたる。本作であれば、図書館での返却から各拠点へ運ぶシーンのそれだろう。ベルトコンベアがガタガタガタと音を立てて高速で動きながら、本を仕分けしていく。図書館の仕事それ自体を運動で見せる素晴らしい休憩のショットだといっていい。会話もないことがまた重要である。会話構成で進められていた映画が、純粋な運動にシフトし頭の切り替えができる。

◆終わりに

先にも書いたように編集を感じるのは、ロケーションにも関係するかもしれないが、公演する会場によってもマイクを使っていると微妙にズレたり、生っぽく聞こえてしまったり、録音状況にもよって響き方がそれぞれ違うことだ。そういったロケーションごとの臨場感(のイメージ)を表象するといったことも、意図的ではないのかもしれないが、クリティカルに鑑賞者に影響を与える点だろう。

「音」に関わる点でいえば、ラストショットは示唆的で画面内で流れ出した音楽がそのままエンドクレジットに流れていくといった手法。それこそ別に珍しい演出ではないが、オープニングで黒バックのクレジットを表示してオフスクリーンで街の音(録音)を流すといった方法を取っていることからも、始まりと終わりがちょうど対応する関係で作られている。ワイズマンの映画は常に反復、それと外しで緻密に計算されて作られているのだろう。

最後ではあるが、本作は『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』の変奏のようなもので、主題やショット構成はすごく似ているだろう。今年中に『大学—At Berkeley』(2013)でも鑑賞してもう少しワイズマンについて考えていきたいと思っている。

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『天気の子』についての覚書

『天気の子』なぜかIMAXで視聴。大きすぎるスクリーンだと視野的にカバーできない瞬間があるので、通常のスクリーンでまた見るかも。以下覚書。1行目からネタバレなので予告でも挟もう。

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冒頭のモノローグといい、世界のために誰かが人柱になっている(正確な出来事は違うけれどニュアンス的な意味合いで)というのは、『空のむこう、約束の場所』(2004)における沢渡佐由理を連想させる。しかも、『君の名は。』(2016)の彼/彼女らが出てきてくることで、これは過去に対しての清算? なのか、と。『君の名は。』において出来事を捻じ曲げてしまっても、再び出会うことを選んだ彼/彼女らの起こした出来事について、『天気の子』で天災として再び姿を現す(2人を引き離す)。前作における、変電所の破壊は自らの目的を果たすための行為として表面的に処理されていたが、本作において陽菜が人柱としてその罪を被り——といったことを主軸としていたので、なんとなく過去における自分の見つめ直しにも思えた*1。世界のバグを引き起こした罪の清算的な印象を受けた。

少年(帆高)が勘違いをする役回りに徹している。彼は須賀と夏美の関係を愛人と勘違いしているし、陽菜にも年をごまかされている。須賀が最後に彼にいう「自惚れるなよ」が示唆的な言葉で、彼は出来事が全て彼の選択によって起こってしまったと思っている。確かに陽菜は一時的にいなくなってしまったし、あの鳥居をくぐった瞬間に空の上から落ちてくるシーンになり、確かに陽菜を地上に連れ帰ってきた。でも、実際のところ「100%晴れ女」は、たまたま晴れる瞬間に陽菜が願う仕草をしていただけなのかもしれないし、失踪したときには彼女は鳥居で横たわっていただけなのかもしれない(あの瞬間不在には見えているが)。つまり、本作ではキャラクターに自分の選択したことに対する罪意識がつきまとっているということ。これは世界の法則を捻じ曲げてしまった、『君の名は。』への自己反省的な作品なのかもしれない。映像作品(アニメーションなら尚更)における「映像と音」のありかた——誰かが誰かと話しているショット(一人しか映っていない)と、また別の誰かが誰かと話しているショット(ショット/リヴァースショット)を交互に繋いでいるけど、本当に彼と彼が話しているの?——みたいな、モンタージュによって接続されているけど、その前に切断されているよね。それを無意識に接続しているように見ているよね、みたいな。

それと帆高の地元でのバックグラウンド的なものを描かなかったのがよかった。東京に出てきたのは光に導かれたから。それだけでグッときてしまう。陽菜もまた晴れを願い、光を見上げて手をかざす。この「見上げること」、「手をかざすこと」というモーションが繰り返される。光への憧れが祈りのモーションを繰り返させる。手をかざしたところでつかみようのない光は、彼女自身がつかみようのない水になってしまうこと——つながりたくても、つながれない存在になってしまうことを暗示しているようでもある。でも、雲が大地を包み込むように、そして私たちが光を求めるように、この空(世界)はどこかの知らない誰かとつながる可能性を秘めている。だから彼も空へ向かって手を掲げるし、彼女の手をつかみ再び出会うことができる(彼岸、煙のあたりもこの辺りと絡まる)。これはフィクションの肯定だ。

君の名は。』でやかましかった音楽も、よくわからないけど『天気の子』だとそこまで気になることもなかった(それでも多かったかな)。ただ、120分切っているにもかかわらず体感時間が長かった。おそらく構成上の問題と、どうしても活劇にならないといった2点がある。まず、冒頭のモノローグは全てカットでもよかったように思える。後々に陽菜の母親の話が出てきた時に同じカットを出すのは野暮だろう。だったら母親の話のときに絞った方が効果的。カットしてその次のシーンに時間をかけるべき。あれで印象的なシーンを演出できているとは思えない。宙吊り感がない。それとライター業のバイトと、晴れ女ビジネスで2回も音楽流して時間の経過を早送りで、ってパターンはさすがにいかがなものかと。

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多分、新海誠の時間感覚ってのはトレーラーがいちばん合っているのであろう。CMくらいがいちばんちょうどいい感覚。このトレーラーだけ見るととんでもない傑作に思えるんだけど、〈映画〉という枠組みにのってしまったときにどうしても活劇的な心地よさを生み出すことができない。メジャー枠で取り組むより『空のむこう、約束の場所』あたりの時代のほうが適任な気がする。公開規模(ポピュラーな映画という意味で)的にね。宮崎駿とは性質が全然違うからポスト宮崎駿にはならない。それと銃が出てきているのに緊張感が生まれない。1回目は予告の方がいいし、2回目に至っては活劇の道具として有効に扱わない。銃が出てくれば弾道がわかるように描いて欲しいし、それによって、人物のモーションが豊かに描写されるべき。願望だけど。

ただ恐らくこれは考え方の違い。彼の撃った弾は空に向かって飛んでいく。銃弾は彼らを見上げることを要求し、地上を照らす光への返答みたいなものだ。だから、空は雨を降らせる。「見上げること」で作劇につなげている。新海誠はそもそも活劇的なものを目指していない。でも、タックルはすごくよかった。あの子達はタックルをするスポーツを志した方がいい。タックル強すぎモンダイ。

とか書いてみながらも、本田翼はたまらなかったし、陽菜もかわいかったので満足でした。とりあえず以上。

小説 天気の子 (角川文庫)

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*1:彼女が起こした爆破はどうだったんだと思う気がしないでもないが、予測不能の出来事であったと一応は説明がつくので。

2019年上半期 新作映画ベスト10

今年はあまり見れなかったが、ギリギリ10本集まったので。もちろん長編・短編なんでもありベスト。

  1. ひかりの歌
  2. Wild Love
  3. 7月の物語
  4. 復讐者のメロディ
  5. テリファイド
  6. パチャママ
  7. リム・オブ・ザ・ワールド
  8. イメージの本
  9. 阿吽
  10. ワイルドツアー

カメラが捉える世界に意味(=理屈)など必要ではないと思える作品だった『ひかりの歌』。自転車に乗る少年たちのショットを見ていると、エドワード・ヤンあたりを想起するのであるが、そういえば最近このショットに近しいものを見たぞと思った。そうそう、黒沢の『旅のおわり世界のはじまり』だなーと思ったのだが、黒沢の方は完全に使い捨て的な用法に落ちてしまったので残念。彼じゃ「おかえり/ただいま」で感動させられない。

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ギヨーム・ブラックは『宝島』を見逃したけど、『7月の物語』は見れたのでよかった。最後に事件とつなげてしまったのはどうかと思ったが、安定の面白さ。『やさしい人』もどうせならDVD出して欲しいね。人間味というか、『ワイルドツアー』の告白シーンの作為だらけのショットはまさに三宅唱だよね〜と。「やっている感じ」から抜け出せばさらに伸びる人だと思うんだけど、いかがでしょうかね。だからもっとあざとくて、映画とは違うベクトル向いているような気がするけど、『阿吽』の方が気持ちがストレートに感じたから上にした。心霊ビデオというより、90年-00年代の都市空間(震災後の設定らしいけど)を切り取った作品であり、『Serial experiments lain』や『ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom』の血筋が見受けられるし、『ラブ&ポップ』あたりも想起される。終盤いかがなものか? と思うのでこの位置に。

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『Wild Love』は文句のつけようのない今年ナンバーワン暴力映画(短編アニメーション)。TAAFで見たのだけど作品の強度だけでいえばピカイチ。『ビリーの風船』クラスの圧倒的暴力!

『復讐者のメロディ』(未公開WOWOW鑑賞)は「窃視」のラッシュでつながれていく感じがひたすら心地いい。これは映画(moving picture)ですよねって感じ。『テリファイド』はホラーたるものの運動で描かれているので面白い。日本でもなかなかこのレヴェルのホラーは出てこないんじゃないかな。最近心霊ビデオ鑑賞できていないのでわからないけれど。それと引用先とか設定、画面の審美的なものとは程遠いけど、マックG『リム・オブ・ザ・ワールド』は運動で構成されていて好み。TAAF長編コンペで見たパチャマママクガフィンで転がしていくタイプの映画で素晴らしいです。ちなみに今ならネトフリで見れます。『イメージの本』は特にいうことないけど、オフュルスの引用にウルっときてしまった。あと『運び屋』とか『きみと、波にのれたら』、『Anon アノン』あたりもよかった。

最後に旧作ベストだけ発表して閉めます。では。

  1. 一匹の狼/ロンサム・コップ
  2. um século de energia
  3. 殺人捜査線
  4. 驟雨
  5. ビガー・ザン・ライフ
  6. 怪盗ルパン
  7. 美味しんぼ
  8. ゴダールのマリア
  9. 夢見通りの人々
  10. IntoleranceⅡ:The Invasion

 

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