つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーションのこと

『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』についての取りとめもない雑記

音の視覚化について試みたと考えられる『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(2005)では、レミング病と呼ばれる自殺病が流行った世界を描いている。言うなれば少し先の未来、大雑把にいえばSF映画にあたるのであるが、再見して思ったのはやっぱり「西部劇」であることだろう。だだっ広い世界に岡田茉莉子が運営するペンション、そして外部からやってきた殺し屋たち。ここでの殺し屋といっても、その職業は「探偵」であるし、宮崎あおいは標的から逃れてきた娘といっただろうか。それはまるで「西部劇」を現代に落とし込んだかのような人物配置であり、浅野忠信中原昌也が作るのノイズミュージックは、荒野に吹き荒れる風のような印象を受けないだろうか。

音の視覚化と描いてみたが、果たして音は本当に視覚化できるのであろうか。浅野と中原は音をサンプリングして自らの音楽(ノイズ)に作り直している。この辺りは、スコリモフスキーの『ザ・シャウト』あたりを連想させる引用に見られる。彼らの音楽はレミング病を一時的に治療すると聞き探偵たちは彼らを訪ねてきたが、そのうちのひとり、中原はレミング病もしくは自分が希望し自殺してしまう。中原はレミング病だったということだが、さて、彼はレミング病で死んだのか、それとも自ら死のうと決めたのだろうか。また、レミング病と本当の自殺の境目はどこにあるのであろうか。映画は外部へ語りかける。生前の中原が言うには「治す気があるか、ないか」の違いらしい。

本作では先に書いたように音楽がまるで風のように吹き荒れている。彼らの作る音楽はサンプリングした音にエフェクター等を通して歪ませ大きくして鳴らしている。ここで風のように流れている音楽は、オフの音だろうか。それとも彼らが演奏している画面内/外の音だろうか。先日、『パレルモ・シューティング』(2008)を見ていた時に、映画で鳴っている音楽は、イヤホンで流れている音であり、見ていればわかるように彼の内面に関わる問題が大きく関わっていた。同時に『エリエリ(略』を思い出し、この世界のどこで音楽が鳴っているのであろうと。それと、中原がいなくなっても音楽はそこにあり続けることについて思い返す。浅野ひとりでは全く同じ音楽を再現することは不可能であろう。それはきっと多くのミュージシャンが常日頃思い悩むことであろうが、音楽の「再現」は本来不可能なことである。それはこの映画が「西部劇」を設定しなおして作られたことからも頷ける。

そういえば北九州サーガ(『EUREKA』(2000)はこれから)を見直していて、『Helpless』(1996)の90年代の空虚な感覚はどこか北野武の息吹を感じさせ(次作『チンピラ』(1996)を見れば明らかであろうが)、『サッド ヴァケイション』(2007)とはショットが全然違うな、と考えさせられる。そういえば物語面を見ていくと、この前見た『空の青さを知る人よ』も家族についても物語だなと思った。いい映画なのでぜひ、って何の雑記だったのだろうか。

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サッド ヴァケイション

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