つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーションのこと

2022年映画ベスト10

恒例のやつです。今年新作はおろか映画すらまともに見れなかったし、鑑賞メモすら飛んだのでわからんのですが、新旧合わせて200も見てないかも。そんこんなでここ10年くらいでいちばん映画見てないんですが、それはそれとして以下ベストです。

 

1.ETERNITY
2.ケイコ 目を澄ませて
3.鶏の墳丘
4.オカルトの森へようこそ
5.みんなのヴァカンス
6.MEMORIA メモリア
7.名探偵コナン ハロウィンの花婿
8.フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
9.幾多の北
10.麻希のいる世界
 
最近ろくに文章書いていないので、この記事くらい長めに書きますかってことで以下感想です。
 
『ETERNITY』水江未来
短編アニメーション作家・水江未来の2022新作は、細胞アニメーションの果てに宇宙がある。デヴィッド・オライリーのインディゲームである『everything』では、プレイヤーは木にも、山にも、動物にも、植物にも、さらには細胞にも……といったものの大小かかわらず、乗り移ることができることを描いていたが、そこで小さな細胞の世界では視覚がまるで宇宙のようにも思える映像を作っていた。奇しくも細胞アニメーション作家として、微少なるものの揺れ動きを描いてきた水江未来が宇宙に旅立った。螺旋の如く、つながり続ける運動。問答無用のナンバーワン。最高でした。
 

『ケイコ 目を澄ませて』三宅唱

高架下で佇むあの贅沢な夜のショット。交錯する電車とその光の瞬き。それはその瞬間でしかないという確かな実感。荒川河川敷(土手)でしかないショットを、「地図を見て、たぶんこのポイントが面白そうだと急遽行って、そこにキャメラを向けたらあんなことが起きたので、粘って見るものだなと思いました」と東・東京にルーツを持ったわけでもない三宅唱が語るように、それは偶然狙った通り撮られてしまう。もちろん、あの辺りに住んでいて少し土手で待っていれば何となく電車が交錯することなんてことは奇跡ではなく、よくあることと認識できるだろうが、なんとなくあたりをつけたら撮れてしまった事実がある。

耳の聴こえない岸井ゆきのという人物を考えたときに「音」が主題のように感じられるが、それよりと何かが何かと接触するときの触覚が核なるキーなのではないだろうか。岸井ゆきのがノートに筆を走らせるとき、高架下でたたずむ岸井ゆきのの顔が列車の光や警官の持つ懐中電灯によって照らされるとき。もっとも触覚というよりもっと原初的なコミュニケーションについての映画にも感じられる。それは手話は当然としても、何か(触覚的なデバイス)を通して伝えること。演出およびショットの水準の高さをあわせも最高の仕上がり。3人組撮るのでいえばめちゃくちゃうまい三宅監督だが、ここまで個に強い作品が生まれたのも嬉しいところ。

 

『鶏の墳丘』Xi Chen

中国のアニメーション作家Xi Chenの長編アニメーション。映画というより、ただただアニメーションでしかないし、映像体験というべき一品。詳しくはブログで書いているので貼っておきます。

paranoid3333333.hatenablog.com

 

『オカルトの森へようこそ』白石晃士

白石監督完全復活というか、この手のフェイクドキュメンタリー撮らせたら、そりゃ流石に上手いよねってなる。本作ずっと運動してて最高でした。詳しくはブログで書いているので割愛します。

paranoid3333333.hatenablog.com

 

『みんなのヴァカンス』ギヨーム・ブラック

素直にな気持ちで、現地点でのギヨーム・ブラックの最高傑作だと思う。『おおかみこども』に『ゴーストドッグ』とTシャツネタありーの、なかなかキャッチーなできはいつも通りだが、『7月の物語』みたいな外部だよりもせず、映画を完結させていてよかった。

 

MEMORIA メモリア』アピチャッポン・ウィーラセタクン

「パンッ」っていう爆発音から、男が歩道橋でダイヴするくだり本当に大好きだった。なんかスピってるし面白かったなー。

 

名探偵コナン ハロウィンの花嫁』満仲勧

あれから始まってあれで終わり、というまるで『ヤンヤン夏の想い出』じゃん!という突っ込みはさておいて、渋谷再開発スクラップ&ビルド爆弾選択の勇気。アクション作画もよかったし、こういったビッグバジェットものを池袋IMAXシアターでみれて大満足。

 

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』ウェス・アンダーソン

箱庭っぽさがマシマシになった本作。ウェスアンダーソンというとこの精密なコントロールと、唐突にはじまる暴力との関係性で映画が作られているように感じる。偶然性は制作段階から「ゆっくり」と織り込まれていると頭で分かっていても、たぶん、それ以上に偶然性=暴力の図式に当てはまるような気もする。

 

『幾多の北』山村浩二

個人アニメーション作家・山村浩二の長編アニメーション。『鶏の墳丘』もそうだが、長編のていをしながら、長編の作り方をしているとは思えない。ある断片と断片がそこいらに散らばっていて、無造作にそれをかき集めている。暗喩みたいなものは見てとれるが、それが正解でなくてもいいじゃないかって気がするし、ぜんぜんわからないけど面白かった。パルンフリークな山村浩二なので、プリート・パルンみは感じたかな。

 

『麻希のいる世界』塩田明彦

「靴くらい脱げよ!!!」

「お前もな!!!」

このシーンで塩田明彦、絶好調すぎる!最高!モードになったのだが、さいごのピン送りさすがになくないすか。いや、面白かったけど。

 

以上!また来年〜。

動き続ける映像は面白い『オカルトの森へようこそ THE MOVIE』(白石晃士、2022)*ネタバレあり

白石監督ひさびさのフェイクドキュメンタリーということで、劇場公開初日朝イチから映画館へ駆けつけて鑑賞し、パンフレットをゲットしてきた。結論から先にいうと、白石監督のフィルモグラフィーのなかでもかなり面白い。ベルギーのフェイクドキュメンタリー映画『ありふれた事件』(1992)を見て、「この手法ならビデオで撮ればお金をかけずに面白い映画を作れる」と思った白石監督は、自主制作の『暴力人間』(1997)をはじめとして、多くのフェイクドキュメンタリー映画を作っている。手がけたフェイクドキュメンタリーは日本の映画監督の中でもダントツに多いのである。*1

フェイクドキュメンタリーというと、台湾ホラーで話題となった『呪詛』やナ・ホンジンがプロデュースした『女神の継承』などが記憶に新しいが、フェイクドキュメンタリー視点で見ると「これって誰が撮影しているの?」な神視点があったり、劇映画的な編集が見られフェイクドキュメンタリーというより劇映画的な作品に感じてしまった。フェイクドキュメンタリー特有の「最初から嘘って言っているから面白い」という感覚が気薄な作品になっていた。この2作に関しては、白石監督も自身のYouTubeで触れているので参考にされるといいかと思います。

www.youtube.com

さて、『オカルトの森へようこそ THE MOVIE』はそのノイズを見事に避けている。投稿者から送られてきた映像を調査するため、投稿者にインタビューする様子を撮影する目的でカメラを回しており、POV作品*2でありがちな「こんな状況でもカメラを回す?」といった事態を見事に避けている。また、何度かカットが変わるが、ほとんどのシーンがワンカット風で撮影されており、意図的に編集していると思わせない配慮がされている。それによって臨場感ある作品となっているのだ。本編前の短編『訪問者』では、監視カメラの映像から始まるが、不気味な訪問者が事務所に入ってくると「あ! ほら、そこそこそこ!」と白石監督にカメラを向ける指示をする。それにより「カメラを回していても不自然ではない」といった状況を作り出すことでノイズにならない。*3

先のYouTubeで『女神の継承』のキャラの薄さについて指摘しているが、本作では優秀だが口が少し悪い助監督、なぜかショットガンを持って行方不明児を探すスーパーボランティア、金髪ホスト風のカリスマ霊能力者……と、バラエティ豊かなキャラクターたちが登場する。本作で白石監督の過去作として登場する『オカルティズム』は劇中で13年前に作られた作品という設定になっているのだが、これは白石監督の『オカルト』(2009)と同じ年になるため、作中の『オカルティズム』は『オカルト』の目配せであることがわかる。

また、『オカルト』の主人公役・宇野祥平が、今作でも同役名の江野祥平として出演していることからも、白石監督作品でよく見られるパラレルワールドや並行世界的なノリがある。*4 一見、作品内の『オカルティズム』の続編のように見えるが、短編で「まりあさんの方が終わったら……」といった発言があることから、続編としては作られていない。現実世界での『オカルト』と『オカルトの森へようこそ』も似たような関係性なのだろう。

ここからは具体的にどこにグッときたのか列挙していきたい。

  • 心霊ビデオへのリスペクト

白石監督は自主制作『暴力人間』からフェイクドキュメンタリー作品を撮っているが、劇場公開作品としては『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE』(2003)が初めてである*5。『ほん呪』からスタートした心霊ビデオ・ドキュメンタリーというジャンルは、視聴者から投稿されてきたビデオをスタッフが視聴して検証するというシーンから歴史がスタートした。*6 本作ではまず『訪問者』では、化け物のようなものが映るのであるが、最後にビデオが巻き戻されもう一度再生するという心霊ビデオのお約束が用意されている。心霊ビデオでは最初にビデオを再生して、「おわかりいただけただろうか」と映像を再度流す……といった構成をとることが多い。

そして本編においても、まず、投稿者から送付された映像からスタートする。そこでは何やら隕石らしきものが落ちてきて、女性が化け物に襲われる一部始終が映されている。その映像は作中で白石晃士(役名:黒石光司)がスマホで見ていた映像であり、投稿映像をスタッフが検証しているという心霊ビデオのお約束スタイルから始まっているのである。『ほん呪』を手がけた監督のファンとして、こういった心霊ビデオのお約束から進行する映画にはニヤッとさせられた。

また、心霊ビデオでは頻繁に「どれが霊障なのかよくわからない」といったことが起きる。特に初期の『ほん呪』は映像が荒いため、「おわかりいただけただろうか」といわれても、「あれ、こっちだったの? じゃあこっちは霊障ではないのか?」と戸惑うこともあった。そのため、制作者たちが意図している霊障と、意図していない霊障みたいなものが同時に画面に映ることがある。もしかしたら、その言及しない霊障もスタッフが遊び心でインサートしている霊障なのかもしれない。そういった画面上でのあそび心が心霊ビデオにはあるのだが、本作においても、白石監督が助監督を撮影しているときに、車窓の奥の方でとても長いビニールのようなものがはためいている様子が記録されている。もちろん、作中での言及はないが、これから起こることを暗示しているかのように、それは不気味にはためていている。

  • 白石ユニバースを主張しすぎないところ

先に書いたように、本作は『オカルト』への目配せがいくつも存在する。それ以外にも彼の作品によく出る「霊体ミミズ」も当たり前のように出てくるし、助監督の名前が「市川」なのは、どうしても『コワすぎ』シリーズのAD市川を連想する。また、『コワすぎ』の工藤D役・大迫茂生もちょっと様子がおかしいカルト信者役で登場する。カリスマ霊能力者が名前を聞かれるシーンで、「ねーよ」と答え名前がないことで「ナナシさん」と呼ばれるのであるが、金髪でカリスマ霊能者、そして「ねーよ」と答える彼を見ていると『カルト』(2013)の「NEO」を想起せざるをえない。「ねーよ」=「NEO」の図式が浮かび上がるが、パンフレットで白石監督は意図はなかったと否定している。その意図していなかった回答にまたグッときてしまった。

ここまで書いていると白石ユニバース主張がうるさいように思えるかもしれないが、それだから面白いといった構造にはなっていない。初めて白石作品を見た人でもすぐ入り込めるような設定になっているし、登場人物が過去作品に対して言及することや、思わせぶりな態度をとっているわけではないので、そこまで主張は感じない。白石監督のファンでもそうでない人でも楽しめる、優れたバランスで成り立っていると感じた。

  • 動き続ける映像は面白い

この作品の面白さのキモはなんといっても、投稿者にインタビューしに行くところから常に映像が動き続けていることだろう。本作は120分程度の上映時間であり、普通の劇映画であれば一般的な上映時間であるが、心霊ビデオが通常1本5分くらいのものから20分程度の作品が多いことを考えると、長尺な作品なのである。しかし、本作はダレ場がほとんど存在しないことから、「え? もう終わりなの?」と思った。

そう思わせるのは、序盤から中盤まで常になんらかの霊障に巻き込まれて、追ってから逃げる構造をとっているからだろう。ここで少し展開を振り返っておきたい。大雑把だが物語展開は以下のようになる。

  1. 投稿者の家にインタビューしに向かう (山道を歩く宇野祥平に出会う)
  2. 投稿者の家でインタビューする (霊障に遭う・宇野祥平が助けに来る)
  3. 宇野祥平に連れられて霊障から逃げる
  4. バスに乗り霊障から逃げる (ナナシと合流する)
  5. バスを失いナナシと一緒に霊障から走って逃げる
  6. 投稿者の三好麻里亜が走って逃げてしまう (追われる側から追う側に)
  7. 三好麻里亜が入っていった宗教施設に潜入し、信者たちとの戦闘が始まる

1の時点から7に至るまで、彼/彼女らは常に追ってから逃げたり、追う側になったりと、常にどこかへ移動していることがわかる。映像が動き続けていると「何かが起こるのではないか?」という期待を膨らませ映像に集中できる。また、心霊ビデオを見る際には「この映像のどこかに霊障が映っている!」と思いながら映像をみるので、真剣に映像と向き合う必要がある。もちろん、心霊ビデオでなくても真剣に映像と向き合えばいいのであるが、常にロケーションが変わるので映像と向き合い易い作品といっていいだろう。

そういった映像を見る快楽が本作には詰まっているのだ。

  • その他

その他に好きだったポイントを箇条書きします。

  1. 白石監督がカメラにナイフを設置するが、マイケル・パウエル『血を吸うカメラ』(1960)オマージュで最高。
  2. 宗教施設が出てくると『V/H/Sネクストレベル』ギャレス・エヴァンスを思い出して最高。
  3. 宗教施設を広々と撮影しているところが最高。特に最初に儀式の場所までいって、侵入者が現れて入り口の広間に戻り、さらに戦闘になってからも一旦引いて施設内を広々と使っている。
  4. ナナシによるアクションシーンが広々としたロケーションでロングショットで撮影されていて楽しい。投げられた刃物をショットガンで打ち返すシーンや、肉弾戦になっても玄人な動きを見せる江野祥平が最高。
  • 最後に

長くなってしまったが、心霊ビデオ・フェイクドキュメンタリーは「嘘を本当らしくみせること」が得意なジャンルである。本作で起きるような出来事は「嘘っぱちにもほどがある!」と思えるかもしれないが、その嘘っぱちの世界にまんまと入り込んでしまう仕掛け作りがされている。本作はフェイクドキュメンタリーであるが、まるで普通の劇映画のように映画の世界に入り込んでしまうのではないだろうか。何より、白石晃士監督のひさびさフェイクドキュメンタリーこれは最高でした。

 

*1:心霊ビデオ・ドキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)に関わった人でいうならば、現在でも『ほんとにあった!呪いのビデオ』のナレーションを担当する中村義洋監督が、一番数多くの作品に関わっているといえるかもしれない。

*2:Point of Viewの略称。フェイクドキュメンタリーやファウンドフッテージなどの作品でよく使われる撮影方法である。

*3:「カメラを回していても不自然ではない状況」については白石監督の著書『フェイクドキュメンタリーのの教科書』(P106)でも触れられている。

*4:一般的にはMCU作品をもじって白石ユニバースと呼ばれる。

*5:白石監督は『ほん呪』でその他にも、シリーズの『Ver.X:3』(2002)『Ver.X:4』(2002)、『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE2』(2003)を担当している。

*6:『ほん呪』1作目からこの構成で作られている。心霊ビデオの歴史的背景については、『霊障』の論考で触れている。 

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アニメーションにおけるショットについて(1)——『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』第7話「葵色の弾丸」

ここ最近めっきりブログ更新が滞っているので、以前から書いてみたかったことについて書いてみようかと。「アニメーションにおけるショットについて」なんてたいそうなタイトルをつけていますが、基本的に演出の話をしていきます。ただ、「作画」とか「演出」などの言葉ではなく、もう少し広い視野で画面について考えていきたいと思い、あえて「ショット」を使っています。ショットではなく「カット」や「画面」といった言葉でもいいのではありますが、蓮實重彦があの歳までしきりにショットといっているところを見ていて、アニメーションにおけるショットについても考える手がかりになればいいなと思い、こんなタイトルにしてみました。

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・2つの出来事が1つのショットで描かれる

第1回目は『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』第7話「葵色の弾丸」について。『BIRDIE WING』は、2022年春に放送されたゴルフアニメだ。トンデモノリのアニメだが、古典的な演出で手堅く、2022年春アニメのダークホース的存在だった。簡単に物語に触れると、ヨーロッパのスラム街に住むイヴは「賭けゴルフ」で生計を立てていた。しかし、彼女や仲間が住むスラム街が取り壊されることになる。7話では彼女は「賭けゴルフ」でこの街の住人を助けようと、命をかけた勝負をする。その対戦相手が、今までマフィア絡みの試合を紹介してくれていたローズ・アレオンだった。

その7話ではローズ・アレオンとの一騎打ちとなるのであるが、今回触れるショットは試合中の出来事ではなく、試合前のAパート前のアバンタイトルにあたる。

オープニング明けすぐに映されたのはなんと亀である。「1年前」というテロップとともにノロノロと画面を横切る亀が画面に映されている。まず、いきなり亀が画面を占有しているため、視聴者は「え?」と驚くが、その画面内で話し声が聞こえてくる。よく後ろをみると、今回の試合で対戦相手になるローズ・アレオンと、その部下・アンリが対戦相手のイヴについて話しているようだ。

つまり、このショットでは、①亀が横切ること ②ローズとアンリがイヴについて話す という2つの出来事が起きている。もちろん、このような演出はこれまで存在しなかったわけではないが、ふつう物語に絡まないものを画面に映すことは多くない。2つの出来事を同時に映すということは、工数がかかってしまうので、経済的な理由から選択しづらい演出である。しかし、このショットが面白いのは、2つは関係ない出来事ではないということだ。それはどういうことか? 

こちらは次のシーンになるのだが、亀と亀がエサ(葉っぱ)を取り合っているように見える。後方ではローズとアンリが話しているのだが、2人は引き続きイヴの話をしている。ここ1年でイヴの活躍がめざましく、アンリがこちらの場を荒らしているとローズに文句を言っているのだ。つまり、この亀と亀のエサ(葉っぱ)の取り合いは、彼女たちが話している内容(縄張り争い)を画面で表現していることになる。1つの画面で2つの出来事が起こりながらも、実際には1つの出来事について描かれている。

「1年前」というテロップと画面を占有する「亀」は、イヴとアーロンの関係を示すために描かれているともいえる。「ウサギとカメ」の寓話があるように、亀をイヴと見立てるとウサギはローズということになる。「1年前」のテロップは、イヴがローズを追い抜く月日を表現しているともとれないだろうか。もちろん、ローズがウサギだと描かれていないのでこれは推測の域を出ないが、そのように考えられるショットだということだ。Aパート以降、ローズとイヴが賭けゴルフで戦っているところを見ると、アバンタイトルでこの挿話の物語や展開を説明していることになる。

ここでは2つの出来事が起こりながらも、それにより物語強度を高める経済的な演出といえるだろう。私がこのシーンが好きなのは、先に述べたこと以外にも、まず画面に驚きがあること。そして、作り手の遊び心が感じられるからである。ショットを見ていて純粋な驚きがある。私が映像を見る上でいちばん嬉しく感じることだ。「アニメーションにおけるショットについて」は連載にしていき、今後、実写とアニメーションの差異など考える場にしていきたい。