つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーションのこと

おうち時間と映像

おうち時間(Stay home)はアーティストがコラボレーションしたり、インスタグラマーがコラボインスタをするなど、様々なコラボレーションを生むきっかけを与えてくれた。テレワーク化が急速に進み、オンライン飲み(主にzoomを利用する)が流行するなど、それまでも実現可能だったコミュニケーションの手段が、急速に推し進められていることがわかる。それはこの状況下を早く脱したいといった思いもあるだろうし、政治的な判断も多少なりとも介在しているかもしれない。しかしながら、現在おうち時間をしている人には、アーティストやアイドル、インスタグラマーのこうした行為を楽しみに待っている人はたくさんいるし、普段では手の届かない雲の上の人と同時接続で時間を共有するということは、少なからず興奮を覚えるだろう。もちろん、本当に手が届くわけではないのであるが、著名人の裏側、日常などウォッチングできる楽しさは、一般的な感覚なのである。

 例えば、上坂すみれはインスタライヴでアル中御用達といわれる某チューハイをぐびぐびと「美味しい〜。美味しい〜」と何度も言いながら、豪快に飲み姿を披露していた。アイドルと酒という一見ご法度に見える組み合わせも、彼女が作り出すキャラクター性と順応しており、違和感のない映像として記憶されるだろう。また、モーニング娘。など数多くのアイドルを輩出してきたアップフロントは、youtubeの専用チャンネルでテレワーク合唱を公開している。 

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アーティスト、アイドル、インスタグラマーとの交流が身近に可能となったテレワークであるが、その技術を活かして活動している仲間と一緒にこのようにメッセージを込めてアップロードするということも、今の雰囲気を打破するような力のようなものがあるのかもしれない。ただ、こうしたコラボレーションも目新しいものではなく、技術に目を向けるよりはこのような状況下で急速に推し進められ、広まったことに着目した方がいいかもしれない。この動画を見ていると、普通に歌っているものもいれば、アイドルらしさ全開の身振りをして歌うものと、多くの人が体験してきたであろう「合唱」とは異なるものだ。複数のスクリーンがひとつに画面に統一され、音楽とともに画面に広がり(このとき一人の取り分は狭くなる)、身振り手振りとともに蠢いている——先日無料で公開されていた、アニメーション監督ボリス・ラベの『SIRKI』を思い起こした。

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リモートでのファン交流の話に戻ると、一昔前のアイドルでは肉眼で観測できるステージから、近年の握手会、お渡し会、バスツアーなど触覚にアプローチをしていて、その延長線上にリモートの概念も当てはまるだろうか。ただ、自粛が終わり普通の生活が戻ってきたとして、今まで通りの活動は難しいかもしれない。今以上に目の前にいるのに触れられない、というアイドル性は強まるばかりであろうか。80年代であればテレビでしか見れなかった。録画した映像をビデオテープが擦り切れるまで何度も見返すこと、と似たような状況に戻るかもしれない。ビデオテープと違うことは、その映像が劣化することはないということだ。しかし、映像は「ギガ不足」を体験しているものならわかるように、回線状況で高画質にも低画質なものにも成りえてしまう。リモートワークで会社が回線費用を払わない、ということの問題意識にも同様なことが言えるかもしれない。学問の世界でさえ、学校では同じ水準——どこの席に座るかといった差異はあれど——で授業を受けるということができるが、リモートでは個々のPC環境に左右されてしまう。ネットゲームを楽しむ人には、この辺りの問題意識は以前より共有化されているかもしれないが。

ただこうしたアーティスト、アイドル、インスタグラマーの活動が政治に利用されるということも起きないとはいえない。もちろん、先述してきた事例も政治的な背景も少なからずあるだろう。驚愕のコラ動画(最初は本当にコラだと思った)のように、対象をまるで操作しているように見えるあの映像も考えることはあるだろう。今はみんながひとつの方向に向かって「がんばろう」といったことのもと——本来は私含め勝手に頑張っていればいいのだけれども——こうした動画が生まれるのは、いいとも言えるし、それだけ個人が精神をすり減らしてでも何とかしなければならない事態になっているというのも考えものだと感じる。

「新しい生活様式」と聞こえはいいかもしれないが、 自粛が終わったあとに元の日常は戻ってこないだろうし、その失ってしまった日常に生活を合わせていた人たちがどう行動しなければならないか、考える問題が山積みだ。それともうひとつの問題として、収束/終息したときに、最善を尽くしたもの、ようは美談のような評価がされないだろうかという危惧がある。このあたりはジャーナリストに頑張ってもらいたいところなのではあるが。

私はこの密を取り戻すことはできるのであろうか。カムバック、日常!

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