つぶやきの延長線上 second season

映画、アニメーションのこと

「第7回 新千歳空港国際アニメーション映画祭」オンライン鑑賞組〈感想〉

コロナ禍ということで映画祭の形も変わってきているようで、例えばフィルメックスは映画館で開催していたけれど、その後オンラインでも開催していたのとこと。そして今回、2017年に行ったきりでなかなかタイミングが合わなくて行けなかった新千歳空港国際アニメーション映画祭ですが、今年はコロナ禍ということでオンラインでも開催してくれることに! 

airport-anifes.jp

 新千歳空港国際アニメーション映画祭は、個人的にもっとも楽しみにしている映画祭であるのだけど、知らない人のために簡単に説明すると、北海道の新千歳空港に併設されている新千歳空港シアター*1で、4日間にわたって開催されている映画祭。例えば東京国際映画祭とか、フィルメックスでいえば東京都内の映画館で開催されているので、あまり非日常感は味わえないのだけど、新千歳空港は外に出てもお店があるわけではないし、空港内で朝昼晩を過ごすことになる。新千歳空港に来たことがある人ならわかるだろうけど、空港自体広いし、飲食店もたくさんあってその上、温泉まで併設されているので非日常感を存分に味わうことができる。今年は行っていないのでわからないのだけど、空港の至るところでイベントを行っているので、空港の高揚感とともに充実した時間を過ごせること間違いない。

さて、今回はコロナ禍というこでオンラインでの参加をしてみたのだけど、短編アニメーションファンにはお馴染みのvimeoを使っての配信ということで安心して見ることができた。すでに公開期間は過ぎてしまっているので見ることはできないのだけど、一度買うと一週間視聴することが可能だったので、2回購入し2週間にわたって映画祭を楽しんだ。

 

ということで、簡単にですが印象に残った作品の雑感です↓

(2回購入したのはいいもののあまり時間がなくて長編コンペはスルーしてしまいました。なので、短編コンペ中心です)

airport-anifes.jp

 

Stephen Irwin - Wood Child & Hidden Forest Mother 

www.youtube.com

 こちらサンダンス映画祭でもかかったのかな?(予告があったので貼っておきます) 今年の短編グランプリを獲得した作品。狩人が森の中で見つけた不思議な生き物を見つけて、狩ろうとするが何やら奇妙な出来事に。狩人、奇妙な生き物の境界線が曖昧になるというか、こちら側ではない向こう側に何やらユートピア的な世界が広がっているように見えて、だんだん不思議な世界へと踏み入れてしまう。世界を覗き見るにはあらゆる覚悟を持って行うべきだ、なんて考えてしまった。気持ち悪くて面白かったです。

瀬尾宙 – anipulatio

バタフライエフェクトじゃないけど、この前ニュースになっていた嵐のオンラインフェス会場で、飛ばされた風船が隣の横浜スタジアムまで届いて試合中止になった話を思い出した。優れた小ネタというか、短編アニメーション入門にちょうどいい作品だなーと思った。

James Molle - Black Sheep Boy

哲学クエスト。なんかマザー2とか思い出した。単純に誰が見ても楽しめる内容だと思ったし、例えば『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)のような教養作品として受容されてもいいんじゃないかなとか思った。あと、これを実写とか写実的なアニメーションでやってしまうと、どうしても説教くさくなりがちなので、こういった質感のアニメーションでやるのは正解だと思った。

Xi Chen - New Furniture of Little Swallow 、Carrot Feeder

2作続けて。事前にXi Chenの作品やばいって話を聞いていたのだけど、これは今年見た映像作品でいちばんやばい。面白すぎてやばい! ではなく、言語化が難しい。オライリー系の簡素な3DCGアニメーションなのだけど、キモさを全面に押し出しているというか、3GCGのキモさみたいなものをめちゃくちゃ感じる。多分、これを実写でやるとそりゃもっと絵的には気持ち悪いんだろうけど。実写作品がいつもリアルを与えてくれるわけではなく、なんらかのフィルターを通すことで素面を「見る」ことができる。この場合、アニメーションで採用されたマテリアルを直に感じられているのではないかと。確かにオライリー系ではあるのだけど、オライリーの方法論だけを採用しているのではない。あくまで方法を採用しただけではないか。例えば、誰でもいいけどリアルに人付き合いをして、その人の素面を知りすぎることで不快に思うこともあるでしょう、逆に触れないことが正解なんてこともある。ただ、Xi Chenはそれを否定する、すべて見ろと。これは検討が足りないので言い切れないけどなんとなく気がついたというか、雑感。他の作品も見てみたいと思った。 

Will Anderson – Betty

 

vimeo.com

個人的に今年の短編ベスト。まず面白いのが、この作品が完成された作品ではなく、編集途中の状態で発表していること。なので、編集中のWill Andersonの声が入ったり、キャラクターの帽子の位置をずらしたりという編集が入る。もちろん、その性質自体が意図の物語になっているので、これだって完成した作品である。恋人との別れのトラウマをアニメーション化しているのだけど、制作過程の苦悩と、それ自身に真摯に向き合うことが素敵だと思った。ある種のアニメーション・ドキュメンタリーでもあるのではないか。また、逆説的にタイムリープものは編集である、ということの確信になるというか(この作品はタイムリープものではありませんが)。アニメーションと編集を考える上で、例えばエウレカのハイエボシリーズと比較検証したら面白いとか考えた。

Lauren Orme - Creepy Pasta Salad

アニメーション的に面白いというか、物語と設定が妙に生々しくて笑ってしまった。デヴィッド・ロウリーの『A Ghost Story』の白いシーツを被った幽霊みたいなビジュアルのキャラクターが、死んでも尚、ガスの支払いに苦慮しているという。そして、なんらかしらの病気でもう死ぬんではないか? というOL、世界の終末を待つ魔術師とみんななんらかしらの悩みを抱えている人たちの物語。特に幽霊になってもガス代に悩まされているという設定に笑ってしまった。でもこれってかなり現実的で、死ぬまでに借金返せなかったら子供に迷惑かかる、死んでも他の人に——とか、考えなくてもいいようなことを悩む人って少なからずいるだろうし、今の世の中、余計にそういった機会が増えているのではないかとも思う。死ぬ前に葬式費用安くするために終活する人がいるくらいだからね。案外アクチュアルな問題ではないかと、共感してしまった。

水江未来 - Maison book girl “悲しみの子供たち”

現在初長編『西遊記』制作中の水江未来のMV。水江未来というと細胞アニメーションで有名になった人だけど、今作では細胞のようなものとキャラクターが入り組んでいる。キャラクターものは珍しいなと思ったけど、『西遊記』もあるので仕事として受けていたのかなーとか思った。どちらが早かったのかは知らないけど。キャラクターのちょっとしたグロさや造形を見て、湯浅の『DEVILMAN crybaby』っぽいなーという感触。音楽もかっこよくてこれは誰でもおすすめだね。

ということで、オンライン鑑賞組の雑感でした。個人的に空港施設も込みでこの映画祭だなーって思っているので、またいつの日か遊びにいきたいなーと思っています。

*1:通常は映画祭だけではなくシネコンとして機能している

こうあるべきを否定して——『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』では、主人公・竈門炭治郎が自分の首を斬り落とそうとするシーンがある。彼の仲間である伊之助は「敵に騙されるんじゃねえ!」と、彼の自決を止めるのだが、ここで首を斬り落とした/死んだとして本当に彼は死ぬのだろうか? と妙な感覚に陥った。もちろん、彼が下弦の鬼の攻撃を受けて、夢の中で首を切り自決することで現実世界に戻ったのは散々見ていたことである。しかし、彼らが乗る列車がどこへいくのかも告げられず、真っ暗闇のなかすごい速度で走っていくこと自体、夢のような話ではなかろうか。


劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 予告編第1弾公開 !!

よく言われることであるが、映画館で映画を鑑賞する/体験することは夢のようなできごとである。スクリーンに照射する光を見ている…といったクリシェを使うまでもなく、誰もが部屋の電気を消してベッドにもぐりこむように、映画館という空間は自分がコントロールできない暗闇を彷徨うことと同義なのである。

でも、少し待ってほしい。今そこで首を斬り落とそうとする青年は、鬼自身が見ている夢の出来事ではないのだろうか。結末まで鑑賞すればそうではないことはわかる。しかし、実際にこの下弦の鬼はこの戦いに勝利し、(無惨の)血をもらいさらに強くなりたいという「夢」を見ている。列車という横長の舞台装置を捨てて、夢という深層心理に舞台を置くのは何故なのだろうか?

  • 歴史を否定すること

はじめに言っておくと『無限列車編』は映画としてイビツな作品である。ここまでブームになるまでになった作品は、本編とは関係のない物語が映画として公開されるといったことが一般的なケースだ。私が子供の頃は『ドラゴンボール』や『クレヨンしんちゃん』などがこのケースだったと記憶している。現代でも『ONE PIECE』や『ポケットモンスター』などが引き継いでいる。しかし、本作は連続アニメ『鬼滅の刃』本編上の「続き」が劇場公開されるという、奇妙なことが起きている。そのため、一本の映画としては『鬼滅の刃』の物語は完結しない。

では、具体的な映画の内容に触れていこう。炭治郎とその仲間は「無限列車での被害が増えてきている」といったことを伝令され、煉獄と合流するために列車に乗る。舞台はこれまで映画史が幾度となく扱ってきた「列車」である。列車は敵/味方がどこに隠れているかわからないこと、特別席など仕切られた空間が存在し、ハラハラドキドキするようなサスペンスが描かれることが多い。また、ロバート・アルドリッチの『北国の帝王』やジェームズ・マンゴールドウルヴァリン:SAMURAI』などでは屋根の上でのアクションが斬新であったし、『トレイン・ミッション』でも、列車空間を上手く利用していたのが記憶に新しい。クラシックから現代映画でも引用しようとしたら、幾らでも出てくる舞台なのである。

さて、ここで『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』がどのように列車を演出していたか確認しよう。まず、炭治郎とその仲間は列車に飛び乗るなり、煉獄を探しに列車内を移動する。そこでは煉獄のみならず、一般乗客が何人も乗っていることが描かれている。彼らは煉獄と合流したのち、鬼に襲われることになる。ひとつの車両を使用した戦闘が繰り広げられるのだが、ここでは煉獄の強さが描かれており、炭治郎は加勢する暇もなく煉獄の強さに圧倒される。この狭い列車内で刀をどう振るのだろうか? と考えるも、戦闘はあっという間に終わってしまう。しかし、どうやらここでの鬼との戦闘は夢だったらしい。その夢を見せていた屋根の上に待ち構える鬼は、炭治郎たちが眠りに落ちたことを喜んでいる。

その後、彼らは目覚めて鬼に戦いを挑むが、煉獄を含めた炭治郎以外の仲間は、列車内に侵食する鬼の一部から乗客を守ることに徹する。ひとりで数両分も担当しなければならないため、その動きは目に見えない速度となり、もちろん、人が殺される/助けるのサスペンスのようなものは描かれてはいるが、時間を感じさせるものではない——スローモーションで描かれている——ため、ハラハラドキドキするようなものではなく、キャラクターの見せ場のように演出されている。つまり、映画史が求めてきた演出とは異なっているのである。

主人公が超人的な能力をもっているので生身の人間に求める演出ではなくなるといってしまえばおしまいなのかもしれないが、それでも先に挙げた『ウルヴァリン:SAMURAI』では屋根の上で列車ならではの演出をしていたし、『ジョジョの奇妙な冒険 5部』のプロシュート&ペッシの演出も思い出されたい。

列車という複数の車両がつながれた横軸(もしくは奥)の活用は、「眠り」という深層心理に入り込むことで避けられている。また、夢の空間で水面を見たり、キャラクターが水の底に沈み込むといった表現がされているように、列車という横に連なる舞台装置を否定し、縦方向への移動が描かれている。炭治郎が屋根の上で戦う鬼とのアクションシーンに関しても、横軸を活用したというよりも高く飛び敵を斬る、縦軸を意識したようなアクションだった。

そういった演出以外にも「深い眠りに——」といった台詞があるし、映画史が目指したサスペンスやスリリングといった演出を否定し、上弦を「夢」見る下弦の鬼が、高く飛んだ炭治郎の刀に骨(命)絶たれる、上下の主題によって形成されている。

それと上弦の鬼である猗窩座が出てきてからがわかりやすいかもしれないが、上下の主題の他に手前/奥といった構図が演出されていたことを思い出されたい。これは最初に煉獄が活躍するシーンにも言える。列車という横に長い空間を、手前の視点から奥にいる鬼を捉えて一瞬で移動し斬り捨てるというアクションがあった。また、禰豆子が鬼に捉えられてしまったとき、奥の車両から眠ったままの善逸が一瞬で鬼を斬り捨てねずこを救う、といったシーンもあったではないか。きわめつけは太陽光から鬼が森の奥に逃げていくといった行動。

総括するとこの物語(映画)では、鬼の弱点である太陽(上下、タイムリミット)を演出上高めるために列車という空間の演出を否定してまで、縦軸の演出にかけたと言っていいのではないだろうか。この『鬼滅の刃』の物語はここでは終わらないが、少なくてもこの「無限列車編」では鬼の勝利で終わる、ひとときの夢を見せられていたのかもしれない。

アニメークリティーク刊行会『アニクリvol.4s アニメートされる〈屍体〉葬送の倫理』への寄稿について

またもや告知記事です。本日の東京文学フリマで発刊される、アニメクリティーク刊行会『アニクリvol.4s アニメートされる〈屍体〉葬送の倫理』に、「静止するイメージ、運動がかたちつくる世界——ブルース・ビックフォード『プロメテウスの庭』について」を寄稿しています。

 2019年に亡くなったアニメーション作家ブルース・ビックフォードの『プロメテウスの庭』を見て、頭を駆け巡った私的な追悼文のようなものになっています。

また、本号には以前寄稿した「アニクリ vol.4.6への手紙」も再録されるそうです。

感染者数伸びてきてなかなか会場に来られない方が多いかと思いますが、来られる方は感染対策をしっかりしてチャチャっと回って帰宅されるのがいいのかな。あと、接触アプリ入れないと会場入れないらしいので気をつけてください。(慌ててダウンロードしました)では、お気をつけて。